ミックスとダンス

すべてを効率化しようとしなくてもいいよ

バスに1時間揺られて通勤する訳ですが、バスの中が寒くて寒くてそれが億劫、でも仕方ないのでこれはバスに対する愚痴です。

仕事だけが全てではなく、しかしまた仕事が中心になっている今それはそれで上等、「生活」で盛り返させていただきたい。

色々考えて本当に眠れない夜を知ってから3年が経ちましたが、そんな今の私は今日早く寝て明日の朝コーヒーをいれることを考えています(6:00起床)(上等)

入院中に外出先の公園のベンチで一緒にタバコ吸ったおじさんがいるカフェにお邪魔したら覚えててくれてて、「元気ぃー?」って言われました 元気元気 またー!

毎日ハッピーなことがなかったとしてもただ時間を過ごしているだけでいいんだと私は思います 何も出来なかったとかは関係ないです 時間を過ごすって大変なことだから

年越したあたりでそろそろ誕生日だなーって思います、今年の目標はかわいくなる です。可愛げがあるという意味が6割くらい、意識を高くすることが4割くらいです。

今年は私の年です🐍 よろしくお願いします。

報酬

時間の流れを感じながら働くことは自分には難しいのではないかと 主に精神と時の部屋で仕事をすることをしていた私はそれ以外で仕事をする自分を嫌厭すらしていた。そこまで仕事や生活に対する向き合い方が鋭利になっていたことに思い返してみて初めて気付く。私は入院する経緯を話す時に 全てを話すにはグロすぎるから よく切羽詰まってしまって、と話すけれども。また別の意味で、切羽詰まりますわそりゃあというかんじだった。いままでで1番仕事でお金を貰えていた時だけど、だからといってその時に戻りたいとは思わない。よく甘いものとかを食べ過ぎちゃった時みたいな、体がヒリヒリするような感覚があった。夏は輪郭がぼやける。寒い方が得意。アルバイトを初めてから不安時の頓服をめっきり飲まなくなった。寝る前の薬が5錠に減った。クリアなiPhoneケースに挟んでいる自分がデザインしたタグと友達が言ってた言葉の覚書と絆創膏とセブンイレブンのホットドリンク50円引き券。予測が出来ないことは怖いけれども全て予想の範疇の中なのもおもしろくない。私が生きてきたなかで明らかな分岐点があったけれども、自分には代わりないから私は私に対して 私ってかんじと思う。手紙を送ってくれる友達、私のストーリーに返信してくれる友達、同じ誕生日をプレモルのLINEギフトで祝い合う友達、多分次会った時久々ってかんじしないんだろうなと思う友達たち、家族、同僚、好きなお店の店員さんたち、みんなのおかげで私という形が出来上がっているんだと思う

おうち

物語を読むフェーズから自叙伝読むフェーズに移り変わりました、我still読書の秋です

自叙伝みたいな本を読んだ時に見えてくる一人称視点の実家像が見えるのが面白いと思ってます。

その度に、自分のif像みたいなことを結構考えます。これって何度もこの思考回路に達する度にこの時間無駄かもーって思ったりしますが、それでも度々やってしまう。この道を歩んでいたら、みたいなこと、時に後悔が付きまとうのでやめた方がいいんだろうなと思っている。そういう気持ちを持っているとゆっくりやめる気持ちが湧いてくるんだろうなとおもっているところはある。

話は戻り、自分の家庭の豊かさやそこから享受してきたものについて考えてみたいと思ってきました。

私の家は元々転居を度々考えなければいけないようなかんじなのですが、私が幼稚園生くらいの時に今の実家が建ち、そこからは家族みんなで動くみたいなことはしていない。家は本当に和なところにあって、山が一望できるような立地。大学を選ぶ時に、東京に憧れる気持ちはあったけれども東京に住んでいる自分が想像出来なさすぎて、そちらの方面は選ばなかった。そして大学もまた山を一望できるような立地のところで、大学生の時にふと「自分って雪が降らない場所に住んだら狂ってしまうんじゃないか」と考えたこともあった。外に出てみて自分の地元の地域って好き!って思うのは自分的に良しとしようという気持ちがあったので、自分の地元がとても好きだという気持ちがあっても自分で気付かないふりをしようとしてて奥の奥にしまって置いてた気がする。実際本当に好きなんだと思う。趣味に生きる大人たちが地元にいることもその気持ちの背中を押している気もする。

幼い頃から美術展に連れて行って貰えた環境は今の自分を明確に形作っているとおもう。今はれんが美術館になっている場所で、2005年に奈良美智が個展 A to Zをしていたところに4歳の時に連れて行ってもらった。ぼんやりと覚えているのは、会場の中に小屋のような建物がたくさんあったなということ。その中に彼は作品を展示していて、それは、ずっと自分が空間作りたいと思っていることの発端なんだと思う。私が生まれたタイミングが良かったからか、青森県にある美術的文化に触れさせてもらえる機会が多かったことはとてもありがたいと思っている。感想で討論するまではいかないものの、家族で美術館に行って、なんかよかったよねということを感じられることは豊かだと思う。あまり親は意識していないかもしれないけれど、私が美術に本格的に興味を持つまでにはそういったバックグラウンドがあった。

父親は電気工作などに造詣がある。母親は書道をやっていたり手芸をしていたりして手を動かすことに造詣がある。だから私がものを作ることに関して結構シビアだったりする。父親の趣味に関してはまだまだ分かり得ていないところがたくさんあるから面白いと思う。テレビ台の引き出しの中にPS4-5にかけてのソフトがたくさんある。どういうゲームが好きなの?と聞いてみたところ、「世界がウイルスに苛まれていく系」が好きらしい。趣味の言語化がすごい。一息で言ってたからな。家族でテレビを見ていて、新作映画のCMが流れていたとき、これみたいな〜と私が言っていたところ、父は休みの日にそれを1人で見に行ったらしい。聞くまで知らなかった…、そういうひたむきさがある。母は約反対方向に意識があり、楽しいこととかおいしいこととかはみんなで共有したいよね、というところがあるようで、自分が直接興味のない映画だとしても家族がみたい映画だったらということで一緒に見に行くことが多い。大抵そういう時は母と弟と私で映画を見に行って、帰り道の車の中で感想を言い合ったりする。その時間が母は好きらしい。わかる、いいよね。

と、そういう父と母の上で私がいるってわけだ。両親、という自分の立場からみた2人ではなく、人として両親2人を考えた時に見えてくるところは面白いなと思います。

そういうところを考えたくてこれを書きはじめました。改めて考えてみないとありがたみに感謝することって難しいからね。今回はそういう回でした。

店長になったると思っていたお店のバイト落ちました

23歳、頑張っても頑張っても足りないような時期に、精神病棟に入院するという1ヶ月のブランクを生んでしまったことで、今までの自分の行動が如何に「焦り」によって駆動されていたことを感じ得た。焦っていた。ずっと。確実に、何かしらに常にいつも焦りに強迫されるようであった。第二新卒というカードももう使えないとか、じゃあどうすればいいとか、同期のみんなはもう仕事安定しているみたいだし、23歳なりの何かしらをしなければとかとか考えていた。

そしてそれに気付いてから、もう私は私のやり方で私のペースで生きていけばいいのかもと思った。先生に仰っていただいた通り、入院中は辛いこともあったけれども人生の夏休みだった。いままでで一番、有益という言葉が似合う夏休みだった。

焦りから解放された私は何をしているかというと、まずアルバイトをして着実にお金を貯めて一人暮らしをしたいなと思っている。そして、いままで仕事をしてきたお金を少し使って、ずっと作りたいと思っていた服を作りたいと思い始めそれに向けた行動をしている。何も私の趣味はグラフィックだけに集中しているのではなく、色んなことが好きだから、色んなものに手を出してみようと思った。まず自分が考えている、いままでの自分の蓄積である、多くは「センス」と呼ばれる部分を、こういうムードもあるんだよみたいな提案が服で出来ればいいなあと思っている。

凪な気持ちでいられるのはこの環境が自分に合っているからだと思う。そして進む方向を応援してくれてる人がいるからだと思う。

お金が貯まったらいままで自分が見つけてきた自分のアナザースカイに行きたいな。山形や、福井、その他も行ってみたい。多分都会じゃなくてゆるやかなところが自分には合ってる気がする。そういうところをこれからいくつか追加でみつけていきたいな。

 

かっこよくてきれいで視座の高い優しさを持ったいい匂いのする大人になりたい。って友達に言ったら、もうなれてるんじゃない…?といわれたけどもっと!寄り良い自分を日々の中で育みたい。

何卒、何卒よろしくお願いいたします。

気はづかしいけど

夢にみる

記憶と異なる姿振る舞いを

冗談みたいに息が苦しくなること

夢だから仕方ないね

目が覚めたら涙がこぼれる

仕方ないことだね

限りあることに思いを馳せて

限りないことに絶望したり

次の瞬間には希望に見えたりする

顔を洗う

自分のかおりがするタオルで顔を拭く

すり足な自分の足音が響くのが聞こえる

その連なりが私を織り成す

いろんなことがあった

楽しいさも、焦がれる気持ちも、殺意をもつことも

なにかがなくなれば

なにかが変わるとおもった

褒めてあげなければ

そして固く抱きしめて

露を出してあげて

憎しみと悲しみと諦めが煮詰まって焦げのようになってしまった感情をよくぞ自分の中に留めておけたねと

自分がなくなる必要なんてなくて

いつまででも

日常をやりながら

そういう気持ちをもっていたっていい

よくやってるよ

風が吹いて雨が降って晴れる

足元のシロツメクサたちのなかに四葉が絶対にある気がする

ホットコーヒーのカップが冷たくなった手をあたためる

そんな季節になった

すべてがたまらなく好きで

嫌なことだって

結局は全部が好きなんだ

 

maybe修行(26日目)

2024/10/7 “A” RAINY DAY 16:27

指が痛くてちくしょうですわ!本当に本当に。雨の日とか冷えると特に。傷口がいたむね…と思いました。

退院が見えてきた!先生が親とお話をしてくださるようで。それが決まり次第退院が出来そう。病棟ヤング枠且つ女性が私しかいなくなったので気を抜くとすぐおじさんに話しかけられるので、みんながいるデイルームに行く時はヘッドホンをして、私は今話しかけられない状態だよ、とルックスからアピールしておかなきゃいかん。ほんとにYO!

さておき、今読んでいる「アムリタ㊦」は㊤に比べて描写が加速して全部写経したくなるくらい良い。2週連続母に古本屋に連れていってもらって、ゲットした下巻。2冊同じものがあって、状態が悪い方を選んで買った100円の方を今読んでいる。汚れていて、ところどころページに折り目がついているものだ。雑に扱っても良いやと私は潜在的に思っていたのか、ページをめくるときに少し折り目をつけてしまった。私はそのことをすぐさま後悔して、ページをさすって折り目を無くす努力をした。少し雑に扱われた形跡があるからといって私も粗雑に扱っていいなんてことは言語道断だ。でもその気があると同じことをしてもいいやと潜在下で感じてしまうことがわかった。自分もそういう状態だったから、今まで粗雑に手を出されてしまったのかなと少し思ってしまった。だから私は強気でバリアを張って生きていかなければいけないし、気高いオーラを意識的に作っていかなければと感じ取った。この一冊の本から。私はこの本を丁寧に丁寧に扱って、読ませて貰おうと強く誓った。

maybe修行(24日目-25日目)

2024/10/5(土)やる気にみちみちみちって20:45

完全にやる気モードになっている。リファレンスを集めなければという気持ちと、今日買った、今まで読んだ本の続編読みたいという気持ちが同居している。21:00に消灯なので、それまでは本を読んで、それからリファレンスを集めをしようと思う。物語は私の養分なので絶対的に必要。チボーテが言うところのリズールなのではと思う。「文学というものが仮の娯楽ではなく本質的な目的として実在する世界の住人」なんじゃないかなーと思った。すてきや。

服を作るときめた。11月中旬に公開するのを目標に、病棟でデザインをつくる(笑)デザインと共に各種ブッキング、手続き、始めてゆくよ!PC使えない以外なんでもどこでもできるんだから!小指痛い!なんで全治3ヶ月くらいの傷負ってんだよ!むかつくという感情が一番近い!

 

2024/10/6(日)食べて読んで寝て18:46

これからの話をしよー 今日はあまり筆がのらないな。早く退院したいなってすごく思うよるになると。そして早く時間が経ってほしい。土日はできるだけ休むということを決めているので、今日は本当にいつもに増して何もしない患者であった。あしたは外出ダ!