このブログのタイトルにしてから3年くらいが経とうとしている ということは私が新卒で東京で就職してから帰郷RTAをした時からそれぐらい時間が経っているということ
距離が近くなりすぎると音が大きく聞こえる それは本当に自然なこと 疲れると物事の大きさ 緩急がわからなくなる それも自然なこと その応用として物事の優先順位が付けづらくなる それは大元となる仕組みを理解しようとすればもしかしたら解決出来る話なのかもしれないと思った あくまで私が生きやすく人生の事務をしていく上ではそういった解決の仕方がやりやすい。
秋は自分にとって、心地よすぎて少し危ない。自分も大きな自然の一部だと思うようになり、全然淘汰されること、いままで毎年のようにあった。気をつけなければいけない 交通安全の秋とか、結構本当。なにかと秋をつけるなよと思ってたけど、秋は全てにおいて楽しく、美味しいからこそ油断してはならない時期。大きな間違いをしてしまうかもしれませんよとか言われたけど、大きな間違いだったことっていつ気付ける?だれがそう言ったら大きな間違い?責め立てたいのではなく単純な疑問として、教えてほしい、そんで答えが無かったらそれはそれでいいかな
2年前に、私は何にでもなれるかもしれないと行ったら、私の担当者のケースワーカーさんと看護師さんと主治医がみんな、にこにこしてた その意気だよと 私を精神障害者として接した方がいいのかという話が出た時。身内がそういう意見になることも仕方ないと思いつつも悲しくてポロポロ泣いた。自分にとっては突然の話のように感じたから。でも、なににも括らずに人を見ることは難しい 全部を受け止めることが必要で、それはとてもエネルギーがいること。その話が出た時に、私のことをそう括ってしまうのは勿体ないと主治医の先生が仰ってくださった。その後退院は当初の約束通りしようと話がまとまったのが丁度2年前の今頃な気がする 全然最近だったし、かなり前のようにも感じる
どこかを摩耗しながら生きていくのが人生だと思っていたから、そのすり減った部分が少し皮膚が薄くなったり厚くなったりするのを感じて生きてるかなと思っていた。でも最近は潤滑油が行き渡っているかのように摩耗する部分があまりにもない気がするから、生きてるかどうか心配になった。こういう時はグラウンディングというのが効くらしい。要は飯を味わって食べて水のむということ!何時でもご飯を食べることが体を守ってくれる。最近は、ご飯が美味しくて本当に嬉しいね。
とはいえ多分最近仕事のことを考えすぎたり(四六時中という意味で)普通に脳みそ的なキャパオーバーで短期記憶が欠落している。時間の、数字の読み間違いや、名前の読み間違え、大事な人の名前を忘れたり、誤字があったりする。1個ずつ紐解いていこう。忘れてしまうことは一旦仕方ないとして、記憶の整理整頓をすることを大切に。あと名前や時間は朝しっかりチェックする、カレンダーに予定をすぐに入れて通知を鳴らすとか。
元気だけど最近は夜になると熱が出る。寒いからか?不思議熱。どの病院の先生に言っても、あまり、なにもない。一旦対処療法で様子みてのちのち血液検査しますかというかんじ。
秋超えて冬になりそう。少し重くて暖かい服が必要。毛布に包まれてるような感覚になれる服が欲しいな、仕事頑張って、買わないと!
