RAMとROM

良き何者かになるためには若くして評価されてこういう道筋を辿っていくべきみたいなものって自分が知りうる狭い範囲での想像としがらみなのではないかという思考が最近固まりつつある。どうであっても、なりたい将来像に関しては念頭におきつつ今を頑張るみたいなかんじでも諦めていなければそれでいいと思うし。でもその時々の目標を決めて他者から評価されることを積み重ねている人達がいることも知ってそれもすごいことだと思う。

日々は進んでいき、私たちのあらゆる技術は退化することはない。しかし自分のこれまで生きてきた経験からの自信故に世界を見る視野を狭めていては今生きる世界との摩擦が起きるよねと思いますね。

AMOさんの記事

www.fashionsnap.com

これを読んで、30歳を越してみて、急におばさんになるようなことは実際にないから若い頃に漠然と抱いていた焦りとかが無くなって今はすごく生きやすいと仰っていた。

その概念に救われた。私はいま23歳、焦りがないとはいいきれない。でもその焦りは自我に自分の人生が応えられるかの責任感だと思う。だから焦りを無くなることを注視しなくてもいいという思考。だからゆっくりスローライフストレスフリーライフというわけではなくて、自我を大切にしつつ大変だけど楽しいみたいなことを積み重ねて生きていこうという気持ちになってきた昨今

自分の扱い方を大切にしつつ、社会(自分を取り巻く世界)に関して、なんか気持ち悪いなと思うことに関しては一旦飲み込んでなにが喉に小骨のようにつっかかるのか考えて見る。マイナスな気持ちになったら考えるのをやめてみたりする。それで正当に怒る。なんかそんなかんじ。波風たてずに生きることも大事だしそういう人も必要だけど私はやっぱり気になることには気になるって言っていきたいし嫌われてもいいから伝えていきたい、本人に。

とりとめのない意思表明になってしまった。

要はこういうことって短期記憶としてたまに頭の中にあったんだけど段々と覚えてないけど忘れてない状態になってきたってこと。

柔らかく、時に大事な人(自分もね)を守るために強く生きてこうというところでした。

またね